南知多町「篠島の旅」

愛知県南知多町「篠島」は、師崎港から10分、河和港から高速船で30分で行けます。

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私は、友人と二人で師崎港から乗船して篠島にカーフェリーで向かった。
他の組は、河和港からです。
篠島へは、名鉄・河和線の河和につながるルートと師崎の二つがあります。
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距離的には、師崎のほうが近いです。

港から篠島に上陸するとすぐ近くに、 「山頭火篠島八句碑」

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.地元の小中学生卒業記念の大壁画

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A005_2 梅乃屋売店

元気な女将さんがいました。

ゆでたウタセ海老,

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A004 ビールを一杯”美味かった!”

・梅乃屋売店のおばちゃんの話し
 皆さんより早めに到着したので、民宿 妙子を探しながら土産物屋の前を通り過ぎるとそこの「今日お帰りかい」と声をかけられた。今着いたところです。づーと行くと海岸で港には雨天で漁船が停泊していた。  民宿がありそうでない。先程の土産物屋で一服をしながら「やっぱりビール」とゆでた小えびで一杯いきました。
おばちゃんは、ほとチャンネルや西川きよしなどテレビ局がきた話しなどしたり、ご主人はシラス魚が不漁であるとか・・結局、ここで皆さんと合流した。

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A006_2「民宿 妙子」の女将さんの話し
 娘時代の話しは、若い男女が集まり友達になり結婚をしたとか、時代の違いがしみじみ感じさせられた。

・食事は、9人で船盛りが二杯あり豪華版です。
まずは、ビールで乾杯そして魚料理にはひれ酒がまた最高でした。

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【主な名所散策ガイド】 あいにく天候が悪く雨でしたが、楽しく観光をしました。

○島の南には、篠島小学・中学校を拠点に清正の枕石、歌碑公園があります。(清正の石は足元が心配で断念しました)

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○伊勢神宮の古財が下賜され造られています。

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上の写真は、左から神明神社、弘法様とか、前浜(ないば)海岸の近くに八王子社(犬嫌いの神さま)

2日間の旅も美味しい食事と由緒ある歴史など私にとって多く知る事ができました。

次回は、「篠島・海の聞き書き」について活動記録扁を予定しています。

食べ物で、一番美味しかったものはじゃこ丼と、タイラ貝の刺身でした。

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2009年5月10日 (日)

エコツワーの思い出「早川町」

今年の3月に、NPO生態教育センター主催の「インタープリターと行く野生生物の宝庫山梨県”早川町”1泊2日」に参加しました。

主なポイント
・場所 :〒409-2704 山梨県 南巨摩郡早川町大原野651
早川にすむ生きもの
人が獣がともにある町
早川の集落
わたしたちの町
そして、
3つの温泉
早川の郷土料理

それでは、ポイントの体験をお話しします。
早川にすむ生きもの
Yamasemi346 野鳥:ジョウビタキ、ミヤマホオジロ、ヤマガラ、シメ、エナガ、ヤマセミ
私が見た野鳥で感激があったのは
ヤマセミです。
大きさは、20センチていど(双眼鏡から)で頭に鶏のトサカのような白い羽がたっていて貫禄のある鳥でした。

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カワセミはお尻のほうがソラ色でちょっとちがいます。

・人が獣がともにある町
Gaido001 野鳥公園から大西さんの案内で自然観察ツワーに参加しました。

大西信正さんは、金華山島でのシカの調査をしておられました。100頭以上ものシカを1頭1頭識別でき、すべてに名前をつけていたそうです。日本人でこれだけ野生動物の研究家は数少ないでしょう。
野鳥公園の入り口には、おばあちゃんの店がありましたがあいにく冬季休業でした。
Eko003 ニホンカモシカは見ることができませんでしたが、木に角でこすりつけた跡やフンがあったりしました。
カモシカの角が落ちていることもあるそうでうです。
山道にアブラチャンが枝先にほんのりとした黄色の花を咲かせていました。

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夜のバードウオッチングでは、ヘルシー美里から歩いて田んぼの回りに2つの光が時々見えることがあり立ち止まって観察しました。そう、動物・・イノシシかカモシカです。民家もあるのにこんな近くに居るなんておどろきました。
野鳥公園へは黒桂河内川にかかるつり橋のやませみ橋を渡ります。
橋の上から下を見ても暗くて何も見えませんが、じっと注意していると何やら2つ光り輝くものが見えました。
カモシカの群れが川岸にいます。双眼鏡で見るとなんとも言えない野生の行動が伝わってきます。 

・早川の集落
Eko565 山の上にある茂倉(もぐら)という集落にある七面堂に案内されました。 上に横に,たくさんの色を使って 描いた絵があり、とってもキレイで歴史を感じました。

地元の沢礼子さんは目を輝かせて地元の歴史や生活と、今も残る希少な在来種の瓜、茂倉ウリ。作る喜びを語ってくれました。
・わたしたちの町
早川町とは いったいどんな地域なのか。これを、古来から使われてきた3つの方言を使って説明することができます。その3つの言葉とは「早川入り」、「まんのうがん」、「ゆうげぇし」。早川フィールドミュージアムのメインテーマとなるキーワードです。

・3つの温泉に浸かりました
○西山温泉
Eko010 西山温泉で、初日の自然観察の汗を流しました。
ここの源泉は、かけ流しにとことんこだわった3つの露天風呂です。
売店では、特産品の日本蜂蜜を買うことができました。
柚子と蜂蜜のジュースがあるそうで一度飲んで見たかった。

○ヘルシー美里
Eko018 ヘルシー美里が現在建っている場所には、もともと早川北中学校がありました。しかし時代の流れのせいか過疎化が進み1985年の早川中学校への統合によって廃校となりました。そのような状況の下、地区になんとか活気を取り戻せないものかと考えた結果、1990年に成功した温泉発掘と合わせて昔の校舎を改修した保養施設として再出発することとなりました。(詳細は ヘルシー美里HPへ
今回は、ここで宿泊して温泉三昧でした。

○奈良田の里温泉・女帝の湯
Eko600 奈良田のダム湖を眺めながら奈良田の里に到着した。日帰り湯の奈良田の里温泉に入りました。
1人500円、ぬるくて、肌がとろけるような軟水のお湯にじっくり浸かって、疲れを癒せますよ。

・早川の郷土料理
Eko015 ヘルシー美里の夕食は、
1)ほうとう鍋 山梨料理 、2)ほうれん草のエゴマ和え(おばあちゃん店前栽培、早川産エゴマ)

3)刺身こんにゃく( 中洲のおばあちゃん作成)
4)早川渓流 釣りたて川魚の一品
5)早川流 天ぷら ころ柿など
6)おじょうもん漬け(茂倉ウリの漬け物)
7)きびご飯
8)山蜜ヨーグルト 
まだ沢山のお話しがありますが長くなりました。

写真をごらん下さい。

Map45Yamasemi346_2Kansoku55

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今年の秋にも計画をしています。

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END

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2009年4月25日 (土)

聞き書き集『奥矢作・水源の里に生きる』

自然の成長量だけをいただく持続可能な暮らしに
わたしたちは戻れるでしょうか――

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Tema

聞き書き集『奥矢作・水源の里に生きる』

未来を生きるためのヒント
発行・編集山里文化研究所

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昨年5月刊行の「恵那・山里の聞き書き2008」に続く
第2弾「奥矢作・水源の里に生きる」を刊行しました。

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この「奥矢作」の話し手は半分以上男性で、
林業の盛んだった当事のにぎわいと、人工林、それも放置林ばかりになった山のことをしみじみと語る人が多いのが印象的です。
神様と迷信を信じて暮らす姿もあり、そういう最後の世代なのではと感じます。
今では「マイクロ水力発電」と呼ばれ期待がかかっていますが、昔あたりまえのように集落単位の発電を行っていたことも書かれています。

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恵南豪雨の話、
暮らしを支えてきたおばあちゃんの話もあります。

ぜひともご一読ください。
1冊1200円
みなさまの温かいご購入をお待ちしております。

●「奥矢作・水源の里に生きる」申し込み先
NPO法人山里文化研究所

HP:  http://www.yamazato4.com/
 Eメール: yamazatobunka アットマークfeel.ocn.ne.jp
〒509-9131 岐阜県中津川市千旦林1522-125 Tel・Fax(0573)68-6016
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自然の成長量だけをいただく持続可能な暮らしに、わたくしたちは戻れるでしょうか-
「未来を生きるためのヒント」
わたくしたちは、山里の暮らしの中にこれから生きる上での大切なヒントがあると考えて、それを伝えるために「聞き書き」活動をしています。
「聞き書き」は、お話ししてくださる方の「生の言葉」で、その方の体験や気持ちを書き表していくものです。
今回は、上矢作・串原地域で「水」と暮らしをテーマにした聞き書きを行いました。

2008年9月20日から1泊で、「聞き書き」について座学と奥矢作地域を訪ねる実習を行い各人が話者の方を訪問取材しました。
テープ起こしをして、作成した原稿の読み合わせを行い意見交換をしました。そして、修正を重ねること「山里研究所」の編集により念願の書籍が刊行できました。
この「聞き書き」を最後まで読んでいただきますと表面の客観的な事実だけでなく、裏にある普通の人たちの暮らしが歴史を作ってきた。それを聞き書きが埋める。民俗調査では拾えないものをすくい取るのが聞き書きであることが分かっていただけると信じています。
この活動は、この本を多くの方に読んでいただき、大切な山里の文化を受け継ぎ、山里ファンを増やし、山里の人に喜んでいただくことが私たちの目的です。

                                                                    執筆者 かわ                                       Eメール:gt-keisoku アットマーク re.commufa.jp

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2009年4月 4日 (土)

☆「カムイロケット」植松 努氏講演が終了して!!

2月21日から23日の三日間に植松 努さんの公演スケジュールに同行した記録です。

・前日から全国的に天候が悪かった

(カムイ・ブログ: 状況はさらに悪化です。もしかしたら明日の講演には間に合わないかも。お。バスが救出に来るらしい。青森を2315に出発してるって。この天気のなか、片道1時間らしいです。
あんまり不快ではない電車からバスを呼ぶってことは、このままだと電車がひっくり返るかもってことかな?・・)

・当日の飛行機では心配で、安全のために前日に移動されると聞いていたので安心していましたが、しかし・・・
・天候について、ニュースを見たりして不安があった。
・私に主催の仲間から、夜の11時ごろに電話で問い合わせなどがあった。

しかし、かえって不安を増徴するだけであり移動中のご本人はもっと大変なんだから。
今回のスタッフの皆さんは、役目柄への熱心さあまりからですね。
人間は、自分を主体にするようですね。心配事に対する安心を、一番早く希望するのは自分であるのかな。

私は、事前に計画をした。だから実際の行動は目的を達成するためのものであり、もし壁にぶっかったら軌道修正すればよいと思います。これらの考え方は、植松さたんが詳しくお話されていますね。

・仲間からどこで当日には待ち合わせするとか、宿泊先はどこに決まったとか問い合わせがあった。
・また、私は不安になった。(どこからか悪魔のささやきでも聞いているようであった。)
・当日は駅まで行った。
・待ち合わせの予定時刻になった。
・携帯が鳴った!
植松さんから連絡「タクシーで近くに来ているが・・・、」ハイ、地下鉄の駅ですからすぐ上の信号交差点に
なりますからそこに行きます。
よかった!
・植松さんは、繋ぎの作業服と安全靴であった。
・使い古した、着慣れた感じであった。
しかし、だいぶ疲労感があるように感じた?。
どうも、お疲れ様でした。お互い、安心した。
ドラマは、これからであるが、植松さんは、北海道から吹雪のドラマでエネルギーを消費していたようだ!

・移動中の様々なドラマとは?
2/20(金)の北海道では、悪天で飛行機は欠航で青森まで列車による移動であった。
列車は途中吹雪で立ち往生して、移動手段をメールなどで行いタクシーで普段30分程度のところを2時間もかかって青森の旅館に明け方6時ごろ到着した。
わずか仮眠をして、青森空港から名古屋の中部空港に連絡ができて予定通り到着された。
・もうこの段階でずいぶんと行動されてエネルギーを消耗した感じでした。
・名古屋についてから、突発性の花粉症か?風邪との合併症なのか鼻の水のしたたる男前でご講演をしていただきました。(ほんとう~に、ご苦労様でした。)

参考:カムイスペースワークスブログ2/20

【第一日目】前置きが長かったですが、初日はシルバーの集Mero019 まりの「メロウ倶楽部」主催で、約40名の満員御礼でした。
参加者の遠くからは、西ノ宮から石川県高岡市そして、メロウ倶楽部会長さんは東京からと更に、奈良県からも植松ファンに集まっていただきました。
飛び入りの、NPO法人読書普及協会の女性は、懇親会でであってから連続で参加されました。
彼女には、港区西福田小学校ロケット教室で仲間を呼んで手伝っていただきました。(感謝!)

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【第二日目】
Roketuto017
・早朝に、伏見の宿泊先へ植松さんをお迎えに行き、港区西福田小学校へ㈱ニコムの佐藤さんのワンボックスで向かった。
・冷え切った体育館には、児童45人と父兄の合わせて、約100人の皆さんがお揃いでした。

前座に、ご講演があり早速、注意事項がありロケット教室が開催されました。
Roketuto009子供たちは、英語の説明書にもかかわらずもくもくと作り始めていました。
そして、何センチのところに穴を開けるのかな~とか!頭を捻っているのは、大人のほうでした。

11時過ぎに、出来上がったロケットを持ってみんなで運動場に出た。
植松さんは、子供たちに安全と操作について分かりやすい説明をされた。
2人づつ発射台にロケットをセットして、リモコンのスィッチをカゥントダゥンでONしてロケットは上空100m?かな飛んだ!
ウワァーと子供の笑顔と歓声が沸いた!!
同時に、植松さんの上空を見上げての笑顔も素敵だった!
これが、感動!です。

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港区の小学校「ロケット教室」が終了と同時に午後の部へ移動です。

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二日目の午後からは、ウィルあいちの会場です。

パネラーの紹介を兼ねて昼食後、今回の講演では最大の約150名の聴講者でした。
パネラーの方々の特徴は、女性企業家、不定期ビジネスニュース記者、アースアズマザー理事長 、教育コーディネーター、そして司会はアースアズマザー事務局長でした。
それぞれの特徴の視線から発言で、植松さん
の人を育てるといって共通点がありました。

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【第三日目】せっかく名古屋に来ていただいたので、世界最大級の天然ガス貯蔵タンクのある東邦ガス知多緑浜工場を見学していただきました。
夢は叶うと、信じる心を養う意味でも大きいことは良いことですね。
建設中のNo2LNGタンクを中心にプレゼンと工場見学でした。
地上からは、僅かながら球形の頭が出ているタンクまで丘を登るように、構内道路があり天然ガス専用バスで向った。
No2LNGタンクがよく見える部分までプラントを上がって行くと工事が盛んに行われていました。
見学者と植松氏は、技術を徹した工事と実感した様子でした。
我々市民は、このような公益性のある工場を見てガス会社に対しての信頼性と安心しました。.

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夜の講演までの時間があったので、大須めぐりをすることにした。
私は、幸い大須が好きで多少どんな店があるか知っていたのでご案内しました。
最近、知ったことで古墳が大須の中心にあります。

【記事】
那古野山古墳」(なごのやまこふん)‥「大須商店街」に残る「古墳」
「大須古墳群」の中の1基ですが、他の「古墳」(大須二子山古墳&日出神社古墳)は現存してません。
この「古墳」は、全長約45mの「前方後円墳」?と推定されています!!が‥現在は、直径22m、高さ3mの「後円部」が残るのみです(残念)

自慢げに、ご案内してしまいました。
昔は(私の若いころは)、大須といえば背広と仏壇の街でした。
いまは、アパレルショップとパソコンや煎餅(朝日軒と玉泉庵)などの店そして、とんかつ店が多く並ぶお店でしょうか。

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最後のご講演は、「カムイロケットの軌跡!!」です。
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若い社会人の方が多く見られ、植松さんとも意見が合ったようです。
懇親会でも熱い話を熱心にされていて早く時間が過ぎてしまいました。

私は、スケジュール管理に気をとられて、植松さんと沢山の話ができなかったことが残念ででした。
しかし、こういったアクションが私の達成したかった「夢・思うは招く」でした。

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植松さん、ありがとう!!!

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2009年3月14日 (土)

自転車で郷土の歴史探索

天気もいいし、自転車でぶらりとでかけました。

■笠寺観音 
笠寺観音(かさでらかんのん)は、愛知県名古屋市南区笠寺町にある真言宗智山派の寺院。正式には天林山 笠
覆寺(てんりんさん りゅうふくじ)という。尾張四観音の一で、あわせてなごや七福神の恵比須を祀る。

Kasadera001Kasadera002Kasadera003

<由緒>
 天平8年(736年、一説に天平5年-733年)、僧・善光が浜辺に打ち上げられた流木を以て十一面観音像を彫り

、現在の南区粕畠町にその像を祀る天林山小松寺を建立したのが始まりである。
 その後1世紀以上を経て堂宇は朽ち、観音像は雨露にさらされるがままになっていた。ある時、旅の途中で通

りかかった藤原兼平(藤原基経の子、875年-935年)が、雨の日にこの観音像を笠で覆った娘を見初め、都へ連

れ帰り玉照姫と名付け妻とした。この縁で兼平と姫により現在の場所に観音像を祀る寺が建立され、笠で覆う

寺、即ち笠覆寺と名付けられた。笠寺の通称・地名等もこの寺院名に由来する。
<Wikipediaより転載>

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■出世神酒天満宮  名古屋市南区
笠寺観音を南下したところにあり、笠寺観音の宿坊として創立し、本尊の不動明王は紀州熊野新宮の本尊であったものが伝来、厄除満願不動として信仰されている。豊臣秀吉より授かった天満宮の一堂もあり、お酒をお供えると顔面が赤くなるとの言い伝えから、出世神酒天神として信仰され、尾張徳川家も代々葵の紋のお札などを寄付していた。現在は、学問の神様としても信仰を集めている。宮本武蔵も御三家筆頭の尾張藩に仕官しようと一時東光院に滞在した。武蔵が左右両腕で書き分けた「自筆天満天神書幅」や「自画像条幅」「自作木刀」を所蔵する。

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見晴台考古資料館
丁度、特別展「なごやの古窯(こよう)」の期間中であった。
古に、人々が土地を切り開き、築いた多くの窯。        幾度もやきものが焼かれ、役目を終えると、窯は長い年月を
経て地下に埋もれていきました。
地下に眠っていた古窯の発掘調査の成果を通して、名古屋のやきもの生産の歴史たどります。
2月中旬の梅の開花    巨大ツボ       住居跡観察舎  

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  資料館     見晴台から笠寺観音を眺める  遺跡について

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■丹八山公園
所在地は名古屋市南区鳥山町2丁目

こちらの丹八山の北およそ200mの笠寺町字天満に創建
承平年中(938~47)七所神社が有りますが、七所神社の御旅所で元宮だった。 

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愛知限定 歴史レポートを参考にどうぞ!

■笠寺一里塚
樹齢400年の笠寺一里塚のエノキ
慶長9年(1604)、徳川幕府は、江戸橋を基点として、東海道をはじめ主要街道に一里塚を築きました。36町を一里(約4キロメートル)とし、一里ごとに土を盛って塚を築き、その上にエノキやマツの木が植えられました。
 一里塚は旅の目印となったり、人足が荷物を運ぶとき運賃計算の目安にされたりしたようです。

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のんびりした一日でした。

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2009年2月 3日 (火)

本間希代子個展 〜アトリエからこんにちは 〜

山里の暮らしの人を「聞き書き」をしている仲間の本間希代子さんからメールがきました。

本間個展情報です。

本間希代子個展 〜アトリエからこんにちは 〜
Honma ちいさなできごと だいすきなモノ ふとしたキモチ 一人言 水彩絵の具と絵筆が4本
そこから生まれた ちいさな絵の 展覧会です。

本日2月1日(日)から、名古屋大曽根の喫茶ぱんとまいむさんで、個展が始まりました。
今回は、手のひらサイズの小さな額絵がたくさんと、牛乳パックを漉いた紙に描いた水彩画、カレンダーの原画も展示販売しています。
初日から小さな額絵はお客さまのもとへ旅だっています。
嬉しい悲鳴!途中で追加する予定です。
喫茶ぱんとまいむのモーニングはいろいろついてて素敵ですよ~。
長い も明太子パスタもお気に入りです。
お近くにお越の際は、ぜひ、寄って下さいね。

私が会場にいる日は、10日(火)夕方~、14日(土)、15日
(日)午後から、28日(土)です。
最終日の28日は5時までですので、お気をつけ下さいませ。

個展 アトリエからこんにちは
2009年2月1日(日)~28日(土)*Kanban200
喫茶 ぱんとまいむ 月~金曜 AM7:00~PM7:00
土 日祝 AM7:00~PM5:00
〒461-0023 名古屋市東区徳川町2501マルカネビル1F
● JR中央線・名鉄瀬戸線・地下鉄名城線「大曽根駅」より南へ 徒歩5分
●「徳川美術館北」の交差点角

http://www.geocities.jp/pantmano
8日(日)22日(日)はお休 みです。

*本 間  希 代 子
homma@nekota.cside.to   http://kashimo.info/blog/index.php
うたたねハンモック→http://nekota.cside.to/

本間希代子ホームページ
http://nekota.cside.to/colli/Welcome.html

「道の駅加子母」では、本間さんをインタビュー
http://kashimozanmai.com/talk.html

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2009年1月13日 (火)

§講師 植松 努 氏 講演会のお知らせ§

以下の日程をお知らせします。

平成21年2月21日(土)14:30~16:30(14:00開場)
主催者:メロウ倶楽部 
名古屋市西生涯学習センター2F 視聴覚室
「夢はかなう―〝どうせ無理〟じゃない!」

「パンフレットf.pdf」をダウンロード

Photo

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2009年1月 4日 (日)

§講師 植松 努 氏 講演会のお知らせ§

株式会社植松電機
株式会社カムイスペースワークス
代表取締役

人間は、いくつ歳をとっても「夢」はあります。
実現を、させるかしないは自分の考え方です。
是非、植松さんの講演を聞いて見てください。
必ず、明日のあなたがあります。

平成21年2月21日(土)
主催者:メロウ倶楽部  計画中

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Earthasmother

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Nicom02_2

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マザリーアースプロジェクト2009春季フォーラム  ホームページ:http//www.earthasmother.com/

チラシのpdf: 「earthasmother.pdf」をダウンロード
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株式会社ニコムのHP :「ニコム」で検索!! 「ニ又は又はhttp://nicom-net.co.jp

チラシのpdf: 「nicom.pdf」をダウンロード

また、ロケット工作の計画もされているようです。

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2008年12月14日 (日)

白川郷の思い出

メロウ倶楽部のオフ会で、北信越と名古屋・岐阜の皆さんが参加しました。

季節は11月です。

(11月21日(金)から22日(土)) 

Sirakawa00_2 Sirakawa01_2

名古屋から東海北陸道を北上するにしたがって雪化粧が濃くなってきた。
上野第1トンネル(岐阜県郡上市高鷲町大鷲)付近では白銀の世界に入りました。

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白川郷の駐車場の状態です。

Sirakawa03 Sirakawa04

食事が済んで、自由散策をして
どぶろく祭りの館、白川八幡宮です。
白川郷の例祭(どぶろく祭り)毎年十月十四日より十九日に白川郷では秋の紅葉に映えて、どぶろく祭りが繰り広げられます。次回は、是非きたいです。普段は、どぶろくを飲めません。このどぶろくの館だけです。濁り酒はいただけます。 わたくしは、どぶろくが好きになりました。 表面にぶつぶつの泡があり、甘酒のようなすっぱみがあり吸い込まれるような味でした。

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Sirakawa06 時間が過ぎるのは早くて、次に向かうのは宿泊先のトヨタ自然学校です。
途中に夜の懇親会用に、地元のお店で名宝ハムと地酒を買いました。

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Sirakawa07 Sirakawa13

地元の動物達のはく製です。
合唱造りの茅葺屋根を何年に一度、村人挙げての取替え作業をしている写真がありました。(スゴイです)

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フロント近くに掲示板と、私は利用者のボードに愛知県エリアにカラーピンを付けました。

Makisutoobu0251_5 Sirakawa17

チップ材を燃料としたストーブです。灯油が高騰しているのと環境対策を考慮していますね。

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Sirakawa14 ナイトプログラムは、夕食後に馬飼(まがり)森の夜会
静かな森の空気・音・風と焚き火を五感で味わいました。
身体が冬支度していないせいか寒かったですね。

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Sirakawa21 翌日は、ネイチャーガイド・ツアーでは長靴をはいてから「カンジキ」を付けて雪山を散策しました。
カンジキには、日本製もありますが西洋製のものを使いました。、
雪のなかで、長靴だけでは埋まってしまいますがカンジキのおかげで歩くことができました。

Sirakawa22_2Sirakawa19Sirakawa18_2

この煙突みたいなものは、森の新鮮空気を取り入れています。
そして、土の中に空気を通す導管があり建物に送っています。
土は、外気温より暖かいので新鮮空気が幾分上がり建物に効率よく送られます。

Sirakawa24

白川郷の高台に行き白川郷を一望しました。
高台から地元の送迎バスで集落に向かいました。

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Sirakawa28集落の中で喫茶店「眺望」があり。

眺望という喫茶店へ入りました。
Sirakawa30黒光りした木の床で、テーブルは窓に向かって一列に並んで付けられていました。
のんびりと外の雪景色を見ながら飲むコーヒーはまた美味しく頂きました。
二階は画廊になっていて、店主の作品の写真関係が展示してます。

お店で、どぶろくを飲みたくて探しました。
濁り酒はありましたが、どぶろくを飲ましてくれるところはありませんでした。
どぶろく祭りでないと飲めないようですね。(残念)

どぶろくと濁り酒の違いは、分かりましか。
私は、どぶろくの方が好きです。
ぶつぶつした泡と甘酒のような少しすっぱい味で、吸い込まれるような美味しい味愛です。
ケー、いいなーあー。
都会より早い雪景色が見えて、紅葉も部分的にあり
トヨタ白川郷自然学校の方々のサービスと
身体の全身で満喫できました。
そうそう、温泉もホッカホカで良かったですよ。

明善寺のお寺の前にあり喫茶店「眺望」の窓際に外へ向かって一列に並んだ席から外を眺めれば世界遺産を眺められる唯一の喫茶店とおやじがいばるだけのことはあります。

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2008年10月13日 (月)

名古屋城・金城温古録の歩き方

名古屋城の見学会に参加しました。
名古屋市博物館の企画展関連事業で、前日は博物館で学芸員の桐原千文さんの座学です。
2日目は、名古屋城内を同管理事務所の学芸員の木村有作さんの金城温古録の歩き方のご案内でした。

名古屋城の流れ
戦国時代に、16世紀の前半に今川氏親が尾張進出のために築いたとされる柳ノ丸が名古屋城の起源とされる。
この城は、のちの名古屋城二の丸一帯にあったと考えられている。
天文元年(1532年)、織田信秀が今川氏豊から奪取し那古野城と改名されました。

信秀は一時期この城に居住し、彼の嫡男織田信長はこの城で生まれたといわれているそうです。
のちに信秀は古渡城に移り、那古野城は信長の居城となったが、弘治元年(1555年)、信長が清須城に本拠を移したため、廃城とされました。

江戸時代に、清洲城は長らく尾張の中心であったが、関ヶ原の合戦以降の政治情勢や、水害に弱い清洲の地形の問題などから、徳川家康は慶長14年(1609年)に、九男義直の尾張藩の居城として、名古屋に城を築くことを決定し、普請奉行の滝川忠征、佐久間政実ら5名、作事奉行には大久保長安、小堀政一ら9名が任ぜられた。縄張は牧野助右衛門[1]。石垣は諸大名の分担によって築かれ、中でも最も高度な技術を要した天守台石垣は加藤清正が築いた。

金城温古録
尾張藩士・奥村得義(かつよし)(1793~1862年)とその養子・定(さだめ)(1836~1918年)が編集した10編64巻におよぶ名古屋城の百科事典です。
座学での桐原さんのお話を聞いて驚くことばかりです。名古屋で育って、貴重な歴史を知りました。
詳細は、”名古屋城を記録せよ!”名古屋城百科『金城温古録』の誕生に集録した本を買いました。
要点を良く分かるように解説されています。

金城温古録の歩き方
地下鉄・名城線の市役所駅を降りて、名古屋城の東門に集合しました。
■集合説明

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学芸員の木村有作さんは、埋蔵文化財の発掘調査を専門にされていて、搦め手馬出の石垣の修復に着手するそうです。

二の丸茶亭

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二之丸東庭園

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水は入っていない大きな池があり、池の中から周囲の庭を眺めると最高だそうです。

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南蛮たたき鉄砲狭間

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ここからは、北側に名城公園が良く見えます。
名城公園は、下深井御庭(しもおふけおにわ)といって深井はふけといって沼地のことだそうです。

二之丸広場
5_2 二之丸と搦め手馬出の間で本丸の東側の石垣を望み説明を聞きました。
石垣の状態は、老朽化が進んできているようでした。
名古屋城の櫓の数は、11あり、軍事要塞としては少ないようですが、多門櫓(たもんやぐら)があり石垣の上に細長く全部に巡らし6 ていた。(スゴイですね!)
写真は、
東二之門を東から見ました。
<鵜の首>
 西の丸・御深井丸(おふけまる)など郭の接するところに防衛上から入り込んだ堀を設けている。
これを「鵜の首」といわれ。本丸を巡って「鵜7 の首」と呼ばれる箇所は5ヵ所残っているそうです。

.清正像です。,

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本丸大手馬出し跡
  東南隅櫓から西に向かいます。

ここは、広い場所で本丸大手馬出しの堀はありませんが想像をして聞きました。
そして当時、大手馬出と西の丸の間に堀があったが、離宮時代に通行の不便さから埋められました。この広場から南側に電気の配電盤にある付近の石垣を駆け上がると外堀があります。(菊展で行けませんでした)
また、本丸御殿は明治に名古屋離宮で宮内省の直轄であった。 

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西南隅櫓(写真右)は、大正12年に立て直されました。
西之丸を通り、かやの木に向かいます。

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■かやの木
樹齢は推定600年で名古屋城ができる前からあるそうです。

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■御深井丸(おふけまる)
天守閣の北西から望む場所では、石垣が一番迫力はありました。
後側の御深井丸は湿地帯で、火薬庫などの武器庫があったそうです。
また、西北隅櫓の公開は4月6日(城の日)と6月のサツキ大会の期間です。(覚えておきましょう)

 
天守台石垣の西面に謎があるそうです!
緑色のトイの付近の四角い石垣に注目して見てください。
▲西側に小天守を作る計画があったらしい。
また、清正が造ったあとに江戸時代半ばに修理をしているようです。
その修理も天守閣の荷重を軽減するために上に綱で持ち上げたという記録があるそうです。(凄いですね!)

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■「・・小代下総・・」の刻印
石垣には、刻印あるいは刻紋があります。
参考HP: 
http://www.mirai.ne.jp/~stanaka/kokumon.htm
加藤清正は、天守閣の石垣を僅か3ヶ月ぐらいで築いたそうです。
全体の6キロ位ある石垣を8ヶ月で築いたと信じられない速さですね!
造った清正も家康も凄いです。

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■東二之門と清正石
18   東二之門は少し傾いていて修理工事の準備中でした。
開いているときも門扉を腐らないように収納する形の造りです。
清正石は、焼け跡が残っています。
清正の担当は、天守台でしたが権威があったのことからで清正石は説話で定かではな16いようです。

よく名古屋城は清正が造ったと言いますが、建物は幕府が造ったそうです。
城は天守より石垣の部分が重要であり石垣を城と呼ぶこともあるようです。
清正の銅像は、2箇所あります。

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■本丸御殿跡
二之丸から始まって、ようやく本丸御殿跡に着きました。
ここからは、大天守と小天守が見えます。
現在は、本丸御殿は第二次世界大戦で焼失して復元の準備工事でバリケードが敷設されていました。
戦国時代末にしては、本丸御殿と城があるのは非常に珍しいそうです。
これから、10年間をかけて本丸御殿の復元工事が進められます。(何とか長生きしたいですね!)

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金城温古録には、非常に貴重な記録が残されていてお城の補修にも、また復元にも役立っていますね。
ヒトの力は歴史的財産になることを深く感じました。
また、平日にゆっくりと散策したいと思います。

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時間があれ、もっと詳しく残したかったです。

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